思考断片

「太いパイプを持つ人」が叩かれる社会 - 「媚中」のレッテル張りの怖さ

 

いまの世の中には、不思議な空気がある。中国と話をしようとするだけで、「媚中」というレッテルが貼られる。
パイプを維持しようとする人が、あたかも裏切り者のように扱われる。

でも、それは本当に正しいのだろうか。

一触即発の瞬間に、国を救うのは何か。強い言葉だろうか。正しいスローガンだろうか。歴史が何度も示してきた答えは、もっと地味だ。

「普段から話せる一本の線」。それだけだ。

危機のとき、公式声明は遅い。世論は荒れる。同盟国ですら、自国の都合を優先する。そんなとき最後に物を言うのは、「あの人に直接つながる」という回線だ。

これは理想論ではない。現実論だ。

ところが今、その回線を保とうとする行為そのものが疑われている。「中国と話す=媚びる」。「対話を重ねる=迎合する」。そんな短絡が、空気として広がっている。

ここで、決定的な混同が起きている。「好かれようとする人」と「嫌われても話す人」。この二つは、まったく別物だ。

媚中とは、中国に迎合し、好かれようとすることだ。相手の機嫌を優先し、言うべきことを飲み込み、原則より関係を選ぶ態度だ。

一方で、パイプを維持する人は違う。立場は譲らない。公では厳しいことも言う。それでも、裏では「話す回線」だけは切らない。

むしろ逆だ。本当に太いパイプを持つ人ほど、表では強い言葉を使える。なぜなら、最悪の瞬間に太いパイプで話せると知っているからだ。

外交とは、感情の勝負ではない。善悪の叫び合いでもない。最悪を避けるための、極めて冷静で、時に不格好な作業だ。

それなのに私たちは今、「話す人」を疑い、「話さない強さ」を称賛しすぎていないだろうか。

もし、普段から中国と話している人が誰もいなくなったら。もし、非公式でも本音を伝え合える人が消えたら。
そのとき一触即発の場面で、私たちは誰に電話をかけるのだろう。

空気は、安心をくれる。敵と味方を単純に分けてくれる。でもその安心は、危機の瞬間には何の役にも立たない。

本当に怖いのは、中国と話す人ではない。話す人を排除してしまう社会そのものだ。

慎重であることと、対話を断つことは違う。警戒することと、口を閉ざすことは違う。

その区別ができなくなったとき、私たちは「正しさ」と引き換えに、命綱を自分で切ってしまうのかもしれない。

話すことは、媚びることではない。パイプは、弱さではない。それは、最悪を避けるための強さだ。

[2026/01/19]

INFORMATION

小平隆一
(James Odaira)
株式会社ブランスリー報道社
代表取締役社長

青山学院大学英米文学科中退
武蔵野美術大学油絵学科卒業

東京都世田谷区在住
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