思考断片

「監視国家」と「監視企業」――私たちは本当にどちらを恐れているのか

 

中国政府による監視社会は、しばしば自由主義社会の対極として語られる。街中の監視カメラ、実名認証、インターネット規制など、その実態は多くの人に警戒感を抱かせる。一方で、Googleをはじめとする巨大IT企業は、便利なサービスを提供する存在として広く受け入れられている。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたい。

中国政府は、自らが監視していることを隠していない。国民もまた、ある程度それを前提として生活している。監視の是非は別として、少なくとも「誰が監視しているのか」は明確である。

それに対して、私たちは日常的に検索を行い、メールを使い、動画を見て、ブラウザを利用している。便利な機能の裏側で、どのようなデータが収集され、どのように分析され、どのような目的で利用されているのかを正確に理解している人はどれほどいるだろうか。

利用規約やプライバシーポリシーは公開されている。しかし、その膨大な文章を最後まで読み、内容を理解している利用者は決して多くない。形式上は同意していても、実質的には「よく分からないまま利用している」という人が大半ではないだろうか。

ここで興味深い問いが生まれる。

もし監視されること自体が避けられないのであれば、私たちは「監視されていることを知った上で監視される社会」と、「監視の実態を十分理解しないまま監視される社会」のどちらを選ぶのだろうか。

もちろん、中国型の統治を肯定するつもりはない。しかし同時に、私たちは巨大IT企業をあまりにも無邪気に信頼しすぎてはいないだろうか。

現代社会では、国家による監視だけでなく、企業による情報収集もまた巨大な力を持っている。しかも企業は国境を越えて活動し、私たちの生活のあらゆる場面に入り込んでいる。

重要なのは、中国が正しいのか、Googleが悪いのかという単純な二項対立ではない。

本当に考えるべきなのは、「誰が、どのような目的で、どこまでの情報を集めているのか」、そして「私たちはそれを理解した上で受け入れているのか」という点である。

監視社会という言葉を聞くと、多くの人は中国を思い浮かべる。しかし、自分のスマートフォンやブラウザがどれほど多くの情報を扱っているかを知ったとき、私たちは改めて問い直す必要があるのかもしれない。

本当に恐れるべきものは、監視そのものではなく、監視されていることに気付かなくなることなのではないだろうか。

[2026/06/11]

INFORMATION

小平隆一
(James Odaira)
株式会社ブランスリー報道社
代表取締役社長

青山学院大学英米文学科中退
武蔵野美術大学油絵学科卒業

東京都世田谷区在住
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